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株式会社はとバス (Hato Bus Co., Ltd.) は 東京都内・神奈川県内で定期観光バス、貸切バスを運行している会社。1948年8月、新日本観光株式会社として設立され、1949年3月に東京都から遊覧バス事業を譲渡された。現在の社名に改称されたのは1963年。その後数回にわたり東京都が出資し、現在、はとバスの資本金の37.9%を東京都が出資している。本社は東京都大田区平和島5丁目4-1。

2003年4月より東京都内の都営バスの一部の業務受託も行っており、時を同じくして神奈川県内にも路線(定期観光を含む)・貸切の事業範囲が拡大されている。

大阪で「大阪はとバス」を運営している大阪緑風観光とは資本関係が一切なく無関係である。また、埼玉県鳩山町は「はとバス」なるコミュニティバスを運行しているが、これも株式会社はとバスとは無関係と思われる。なお、株式会社はとバスは、「はとバス」や「HB」のロゴマークについて、「バスによる輸送」等を指定役務とした商標登録を受けている


車両
定期観光バスをはじめとして、国内の観光バスをリードする様々な特徴ある車両を、国産・輸入に関わらず導入してきた。2008年現在で約130台を保有する。


一般タイプ

国産の一般タイプは、いすゞ自動車製の大型スーパーハイデッカーが中心(いすゞ自動車が大株主のため)で、スーパーハイデッカーの一部と後述するハイブリッド車で僅かに日野自動車製が加わる。[14]他社のようなハイデッカー車は上高地方面用の一部車両にとどまっており、全体的にレベルが高い。多くは補助席付き55人乗りタイプであるが、いすゞ・ガーラ(初代)をベースとして、自社主催ツアー向けの「フォルテシモ」・「ピアニシモ」と称する、3列席を備える2タイプの高級観光バスも保有する。なお、2代目セレガ&ガーラ登場以前のスーパーハイデッカーは富士重工業製の車体を中心に架装したため、フロントウィンドウにセンターピラーが入った上下2枚窓タイプを採用していた。 また2005年頃までは少人数の貸切向けに9mクラスの車両を、1960年代にはマイクロバスも保有していた。

2008年6月には創立60周年記念事業の一環として日野・セレガハイブリッドを4台導入、同年7月19日より都内の定期観光バスに就役している。

輸入車・2階建て車

ドイツ製の2階建てバス「ドレクメーラー・メテオールE440」が2世代にわたって導入され、定期観光の2階建て車使用コースの主力として活躍している。1997年にベルギーの「バンホール・アストロメガTD824」が導入されたが2台にとどまり、2005年3月からハローキティバスとして活躍中。 最近は輸入2階建てバスは縮小し、三菱ふそう・エアロキングも導入されている。

1983年にアンダーフロアコクピットタイプのドイツ・ケスボーラ社製スーパーハイデッカー「ゼトラS216HDS」が貸切車として、1987年に「はとまるくん」(後述)の先祖といえる劇場型の座席配列(シアターフロア)を採用した「ドレクメーラー・ヨーロコメットE330H」が定期観光用に導入されていた。 車両の後ろが二階建て構造となっているスーパーハイデッカー、ボルボ・アステローペ(B10M:車体は富士重工業)も2世代にわたって導入され、初期に貸切車として導入されたアステローペは、後部サロンを吹き抜けとしていた。


その他

はとバスオリジナルのバスもある。現役では、「パノラマビューはとまるくん」と呼ばれるシアターフロアの車両がある。創立50周年を記念して2001年に2台造られた特別車で、アステローペと同じボルボ製B10Mシャーシに、東京特殊車体製のオリジナルボディを架装したもので、特定の定期観光コースにのみ運行される。1970年代には同じ東京特殊車体で製造した(シャーシは三菱ふそう製)、「スーパーバス」と呼ばれる大型窓を備えたバスがあり、人気を集めた。更にさかのぼれば、1960年代には京成自動車工業とヤナセが手がけた2種類の「スーパーデラックスバス」も擁していた。

1998年に自由乗降制の「ぐるり東京号」として中型車(いすゞ・LR233J)が5台導入されたが、あまり振るわなかったため2年で打ち切られ、大森駅〜平和島の本社送迎バスとして使われた後、売却された。

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